2022年度 社員旅行 《山陰》島根県 松江・出雲周遊の旅 【2日目】
〈松江城築城の祖・堀尾吉晴(よしはる)」の銅像〉 さあ、ホテルをチェックアウトし、タクシーで向かった先は 『国宝 松江城』です! 入り口で迎えてくれるのは、戦国武将として名を馳せた「松江城築城の祖堀尾吉晴(よしはる)」の銅像です。 その息子・忠氏(ただうじ)が、関ケ原の合戦で功績を挙げたことにより、堀尾氏は月山富田城(安来市広瀬町)に入り出雲国を治めていきます。 その後、息子の忠氏は立地や交通の便などが悪く、統治をより良くするため新城の築城を計画するが、計画段階で死去してしまいました。 息子の忠氏がまだ幼かったこともあり、その後は吉晴が後見として藩政を執り行ったそうです。 しかし、その吉晴も亀田山に、5年の歳月をかけ1611年(慶長16年)松江城を完成させた、その年の 6 月に死去してしまいます。 その後は、吉晴の孫・忠晴(ただはる)が初代城主となり、京極氏・、松平氏と松江城の歴史を繋いでいきまました。
〈まつえ時代案内人〉 松江城入り口で、『まつえ時代案内人』の方に記念撮影して頂きました!!雰囲気抜群の武将姿が恰好が良いですね!! 『まつえ時代案内人』は、松江城に由来する武者や忍者の恰好の案内人が、「天下一やさしいお城ガイド」を合言葉に、戦に対する備えの粋をこらした城郭を、攻める目線、守る目線にてガイドしてくれます! また、築城から400年を越える松江城の、国宝の決め手となった当時の革新的な築城技術も紹介してもらえるのですが、今回は時間の都合もあって、記念撮影だけお願いしました!!
〈近世城郭を代表する国宝天守・松江城〉 松江城は標高29メートルの亀田山に建ち、宍道湖を眺望できる全国に12城しか残っていない現存天守の1つです。 現存天守は江戸時代またはそれ以前に建てられ、壊れることなく現代に姿を残す特別な存在です。 その中でも、慶長16年(1611年)完成の松江城天守は、彦根城、姫路城と並び、近世城郭最盛期を代表する天守として国宝に指定されています。 東西へ広がる曲線の屋根が堂々としていて、風格がありますね!!
〈天守からの眺め〉 城内を巡り、天守にたどり着きました! 天守最上階は「天狗の間」と呼ばれ、室内には壁がなく城下町を360度展望できるつくりです。 周りに高い建物もないため、遠くに昨日訪れた宍道湖を一望できます! 当時は、敵の監視や攻撃に備えるための司令塔としての役割もあったと言われています。 歴代の松江藩主たちもきっと眺めたていたのでしょうね! 歴史を思い社員一同、松江の風景を存分に堪能しました!!
〈松江神社〉 松江城の天守閣に行かれたら、すぐそばの松江神社に立ち寄って見て下さい。 この神社は松平公や堀尾公他を祭っています。 目に付くのは狛犬です。 私たちが知っている狛犬と言えば、普通は座っていますが、松江の狛犬は尻尾を逆立て威嚇しているようです! 出雲では、こうしておしりをあげている狛犬が普通にいるそうです。 調べてみると理由がわかりました!! 出雲のおしりを上げ狛犬は、狛犬ではありません! 唐獅子でした!! 名前は「出雲構え獅子(いずも・かまえ・じし)」というそうです。 唐獅子と狛犬の違いで分かりやすいのは、やはり首の周りに渦巻いているたてがみと胴体の渦巻き模様!! 皆さんも是非、「出雲構え獅子」を見に〈松江神社〉に訪れて見て下さい!!
〈興雲閣(こううんかく)〉 明治36年に松江に天皇を迎えるために建築された興雲閣。 建設当時は「ロシア宮殿風」と近隣に喧伝(けんでん)されたといわれています。 日露戦争勃発などにより、山陰の行幸は実現しませんでしたが、その後、大正天皇が皇太子時代の行啓の際に宿泊所として利用しています。 1.2階ともにコロネード(水平の梁を用いた列柱のある回廊)の廻廊をめぐらせた特徴のある外観が素敵ですね!!
〈興雲閣からの眺め〉 優雅な室内です。 大正天皇もこちらのバルコニーから松江の町を眺めたのでしょうね!
〈堀川めぐり〉 さあ、堀川遊覧船に乗ってみよう! 国宝松江城をぐるりと囲うお堀に浮かんで、 松江の町をゆったり進む小さな船。 船頭さんの合図とともに 気ままな船旅のはじまりです!!
〈水の都・松江〉 船頭さんの案内をお供に、江戸時代から残る山陰唯一の天守閣をはじめ、武家屋敷、塩見縄手の老松など風情ある町並みなどをかけてぐるりと一周、約50分かけての船旅が楽しめます。 16ある橋のくぐり抜けでは、船の屋根が下がってきてスリリングな場面も体験!! 船頭さんのガイドもいい味出してます!! 船から見る松江市の町並みは、懐かしい日本の風景を思い起こさせ、川面を渡る風は時間を忘れさせてくれます。 お腹も大分空いてきました。 途中下船して、出雲そばを食べに行きましょう!!
〈お昼は出雲そば〉 山陰地方はそばの専門店が多い“そば処”。 特に、松江は日本三大そばのひとつに数えられる「出雲そば」のご当地として、県内外の多くのそばファンが愛してやまない名店も多いです。 今日は、松江市内の名店の中から、いつもお客さんが絶えない松江城近くの人気店『神代(かみよ)そば』でお昼を頂きます!!
〈手打 神代そば〉『神代そば』では、そばの実を3台の石臼で3回挽くなど、手間ひまを惜しまず作られる自家製粉の十割そばが評判です! 手打ちされた挽きぐるみのそばは、コシが強めで色が濃く、そば本来の豊かな風味と香りが楽しめます!! つゆには、料理酒として親しまれる「地伝酒」を使用しているそうで、濃厚なうま味が醤油のカドを取り、まろやかな味わいに仕上がっています。そば好きのH君も納得の味で大満足!! 美味しさの決め手は、10割そばと秘伝のつゆです!! ビール片手に仲間と一緒にいただく絶品出雲そばは、おいしさも格別です! ごちそうさまでした!!
〈稲佐の浜に白鳥!?〉 レンタカーで移動し、稲佐の浜に到着しました。 稲佐の浜は、国譲り、国引き神話の舞台 として有名で出雲大社の西方1kmにある海岸です。 浜に降り立つと、変わった鳥の姿が目の前に! 良く見ると、白鳥です! 白鳥の姿が見えます!! 後に調べたところ、この白鳥、数年前から住み着いても居るそうです! 野生の白鳥は、冬に渡ってきますが、春には、再びシベリアなどに帰っていきます。 住み着いている白鳥は、居心地が良くて、餌付けされたようです。 遠くまで飛ぶのが嫌になったんでしょうか?(笑)
〈弁天島〉 稲佐の浜に一際目立つ島があります。 地元では「べんてんさん」と呼ばれて親しまれている島で、かつては稲佐湾のはるか沖にあったため、沖ノ御前、沖ノ島と呼ばれていたそうです。また、 昭和60年前後までは、島の前まで波が打ち寄せていたそうですが、近年急に砂浜が広がり、現在では島の後まで歩いて行けるようになりました。 神仏習合の頃には「弁財天」が祀られていましたが、明治のころから豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)が祀られています。 しっかりとお参りし、稲佐の浜の砂を頂きました。
〈稲佐の浜〉出雲大社の西方にある海岸で、国譲り神話や国引き神話ゆかりのパワースポットです。 白い砂浜は南へ向かって美しい弧を描いて長く伸び、日本の渚百選にも選ばれています。また弁天島をシルエットに夕日が沈む風景は素晴らしく、「日が沈む聖地出雲」のシンボルとして日本遺産にも登録されています。『記紀』の国譲り神話では、大国主神が高天原から派遣された武甕槌神(たけみかづちのかみ)と国譲りの交渉をしたという場所です。 『出雲国風土記』では、国引き神話の綱に見立てています。 またこの浜は『日本書紀』では天日隅宮(あめのひすみのみや)と表記され、旧暦10月10日の神に全国の八百万の神々をお迎えする、神迎神事の浜でもあります。浜辺の奥に大国主大神と建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)が国譲りの交渉をしたという屏風岩があり、海岸の南には、国引きのとき、島を結ぶ綱になったという長浜海岸(薗の長浜)が続いています。 歴史と神話を知れば知るほど、日本のルーツに繋がる凄い場所ですね!!
それでは、神々が集う、大いなる社。出雲神社に向かいましょう! 「出雲大社(正式な読みはいづもおおやしろ)」は縁結びの神・福の神として名高く、日本最古の歴史書といわれる『古事記』にその創建の由縁が記されているほどの古社で、明治時代初期まで杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれていました。 主祭神はだいこく様として馴染みの深い「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」。 『古事記』に記される国譲り神話では、大国主大神が高天原の天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲られます。その際に造り上げた壮大な宮殿が「出雲大社」の始まりといわれています。
__________________________________________________
〈勢溜(せいだまり)の大鳥居秀〉 大きな石碑とともに立つ高さ8.8m、横幅12mの鋼管製の大鳥居。ここが出雲大社の正門でこの先から参道が始まります! 神門通りの入り口にある宇迦橋の大鳥居から出雲大社本殿までは合計4基の鳥居があり、ここは二の鳥居です!!
〈ムスビの御神像〉 出雲大社拝殿前の銅鳥居に近い松の参道右横に鎮座する像が「ムスビの御神像」です。 大国主神(おおくにぬしのかみ)は遠い神代の時代、出雲の国に農業・漁業・殖産・医薬といった様々な知恵を授け、「国づくり」の大業を成し遂げられた神様です。 大国主神の築いた国は「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)」と呼ばれ、あらゆるものが豊かで力強い国でした。 すばらしい国を造り上げた大国主神は、その後、皇室の祖神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)に国をお譲りになった。これが古事記の中でも有名なシーン「国譲り」です。「古事記」の中の大国主神の前に海の向こうから「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)」という魂が現れ、幸魂奇魂の「おかげ」を受け取ったことで主大神は、生き物が幸福になるための「縁」を結ぶ「えんむすびの神」となる神性を養ったとされています。人もみな、この幸魂奇魂から「みたま」をいただいて生きているのであり、縁を大国主大神からいただく以上は、それを生かしきりましょう! また、縁があっても実際にそれが実を結ぶかどうかは自分自身の行動次第ですから、いつの時代も自らの行動が「良い未来」を切り開いて行くことが出来ると感じることが出来ました!!
〈御自愛の御神像〉 出雲大社拝殿前の銅鳥居に近い辺りの松の参道左横に鎮座する像が「御自愛の御神像」です! 荷物を背負った「大国主神(おおくにぬしのかみ)」が傷ついた「兎」に、手を差し伸べている場面です。出雲に古くから伝わる神話「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」を表現しています。
〈拝殿〉1963年に新築された拝殿は、戦後最大の木造神社建築といわれます。 高さは12.9mで、大社造りと切妻造の折衷様式です。 ご祈祷や奉納行事などもここで行われます。 しめ縄が一般の神社とは左右逆なところにも注目して下さい。 二礼二拍手一礼という参拝が一般的ですが、出雲大社では二礼(二回おじぎ)四拍手(四回手を打つ)、最後にもう一度おじぎをします。境内の全ての社も同様に行ってくださいね!
〈八足門〉 御祭神に最も近づける門で、通常はここから御本殿を参拝します! 御本殿と八足門の間には楼門があり、正月五カ日は八足門が開放されて楼門前まで入る事ができます。
〈ご本殿〉大社造りと呼ばれる日本最古の神社建築様式。1744年(延享元年)に再建されたもので、平成の大遷宮で大屋根や千木などが新装されました。高さは約24m、厚い桧皮葺きの屋根の棟の上には長さ7.9mの二組の千木が交差しています。 御神体は稲佐の浜のある西の方角を向いて鎮座されており、本殿正面からは神様を横から参拝する形になります。
御本殿北側に、出雲大社の境内でも最大のパワースポットがあります。 それが「素鵞社(そがのやしろ)」です! 素鵞社の御祭神は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が祀られています。 素戔嗚尊は、天照大神(アマテラスオオミカミ)の弟神で、その性格は、少々乱暴ものであったが武勇の持ち主と記されてます。 また、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説で知られる英雄として、石見神楽・出雲神楽をはじめ今に伝えられています。 素戔嗚尊は、大蛇の退治後も出雲にとどまり、奇稲田姫命(くしなだひめ)と御結婚されました。 その後、奇稲田姫命は、出雲大社の御祭神「大国主大神(おおくにぬしのかみ)」をお生みになられたことで、出雲でも著名な神とされています! そして、この「素鵞社」であの有名な『お砂』をいただくことができるのです! 『お砂』を頂く作法としては、① 稲佐の浜で砂を頂き素鵞社まで持ってくる ② 出雲大社に正しい作法でお参りする ③ 「三度の禊」によって穢れを落とす ④ 持ってきた稲佐の砂より少ない量の『お砂』と交換して頂く のがご作法です。 皆さん作法はしっかり守って下さいね! 頂いた『お砂』を自宅の敷地の四隅(東西南北)に埋めると、田畑や土地・建物などの強力なお清めとなったり、お守り袋に入れて身に着けることでお守りや厄除けになると伝えられています。 頂いた『お砂』は帰宅したら、自宅の敷地に埋めたいと思います!!
__________________________________________________
〈神楽殿〉 皆が知っている出雲大社といえば、こちらですよね! 昭和56(1981)年に造営され、祭典、祈願、結婚式などが行われます。 大広間は270畳式の広さがあり、神社建築には珍しく正面破風の装飾にステンドグラスが使われています。 正面には有名な日本最大級の大注連縄(長さ13.6m、重さ5.2t)があります。正面の大注連縄は長さ約13メートル、重さ5.2トンに及びます。この大注連縄は数年に一度、新しい注連縄へと懸け替えられるそうですよ!
〈大迫力の大注連縄〉真下に立つと、 凄い迫力です!!
〈霧霞む出雲大社〉 小雨降る中、念願の出雲大社に訪れることが出来ました! 毎年旧暦10月は、日本全国の八百万の神々が出雲に参集されます。全国的には神様がお留守になるこの月を「神無月」と言いますが、神様が集まられる出雲の地に限っては「神在月(かみありづき)」と呼ぶようになりました。そんなことからも、出雲は私たち日本人にとって特別な場所で、そんな場所に会社の仲間と訪れることが出来て、とても良かったです!!
__________________________________________________
最後に「ムスビの御神像」ワンシーンです。 その時海の向こうから光り輝く神様が現れ、「大和国の三輪山に自分を祀るように」という声が聞こえてきました。 大国主神は「そなたは誰ですか?」と問うとその声は「我は汝の幸魂(さちみたま)奇魂(くしみたま)なり」と答えました。それは、大国主神自身の魂の声だったのです。 「恐れや不安を抱いても疑うことなく、己が決めたことを貫きなさい。 それが、あなたの真の願い。何を疑おうぞ。疑うことなかれ。 疑うのならば、己が決めた自分の意志が揺らぐことを疑うべし。これは、道に迷ったときに誰もが抱くことであり、すべての人に通じるものである。」
出雲大社の祝詞の最後に「奇魂(くしみたま)幸魂(さちみたま)守給(まもりたまえ)幸給(さきわへたまえ)」と唱えます。
この国は、争うことによってつくられた国ではありません。 人を愛し、その愛を貫き、様々な試練に打ち勝ち、その強い想いで、私たちの住む日本という国づくりが始まったのです。 霧霞む中、堂々とした風格の出雲大社の姿が記憶に残る素敵な旅になりました。
〈帰路、羽田空港へ〉 楽しかった社員旅行も終盤です! 出雲に触れて、日本のはじまりと神話を考えてみる貴重な旅となりました。 考えてみると、こうして皆で旅に来ているのも、大国主神のご縁かもしれませんね! ご縁があっても実を結ぶかどうかは私たちの行動次第ですから、このご縁を生かし〈良き未来〉のために皆で頑張っていきましょう! 幹事さん ご苦労様でした! 皆さん、楽しい時間をありがとう! 来年も楽しい社員旅行に行きましょう! お疲れ様でした!!